大蔵流の狂言の古い台本に『大蔵虎明本』と呼ばれている本があります。
大蔵流宗家十三世の大蔵虎明(1597~1662)が、寛永19年(1642年)に書き記したものですが、現在の台本とはいろいろ異なるところもあり、なかなか、興味深い本です。
《釣狐》も現在と結末部が異なりますので、ここで紹介させていただきます。
やいかゝつた、わぬす人、どこやらふぞ、おのれ/\〔と云時、しては、手を合おがむ、あどは引き立て、ひく間は、ふえ、しゃぎりにて、はしがゝりにて、ふえほつはいひうろ、ひつととむる、まくぎわにてもとむる。〕
この結末は、和泉流の最古の台本である『天理本狂言六義』(正保年間、1644~48年ごろ書写か)でも
あど、狐がかゝツタト云テ引こむ時、すこん/\とないて、手を合ておがむしまひ也。
とあって、どうやら《釣狐》の最後は、シテ狐が、アド猟師を両手で拝んで終わるのが、江戸時代初期の形だったようなのです。
いわゆる狂言の最後の「追い込み」の時の、「許してくれい」の代わりなのでしょうか。当時の《釣狐》には、現在のある息の詰まった緊張感とは、また違う雰囲気を漂わせていたのではないか、と想像できる興味深い内容だと思います。