今回、善竹十番で上演される狂言に《二九十八》という曲があります。掛け算の九九に由来するものです。

九九が日本において使われるようになったのはいつごろか、これはよく分かっていません。

しかし、『万葉集』の万葉仮名には「十六」と書いて「しし」、「八十一」と書いて「くく」と読ませる九九を踏まえた例がありました。

また『口遊』という平安貴族の基礎教養を記した本にも九九が記されているなど、古代にはすでに上流階級の知識にはなっていたようです。

九九の知識が一般化する時代はよく分かりませんが、税徴収の必要上、また中世にかけての商業の発達の中で広まっていったのではないかと想像しています。

日本独自の数学=和算が隆盛するのは江戸時代の話ですが、九九程度の実用算数の知識は鎌倉・室町時代には一般化していたのか、《二九十八》のような狂言が作られていったのでしょう。

狂言から離れて、能のほうに目を向けると、《羽衣》の謡には「三五夜中の」という言葉があります。これは5×3=15、つまり十五夜の満月の意味です。

また能《大仏供養》の冒頭に、清水寺に「一七日参籠申して候」というセリフがありますが、ここで面白いのは、7日間×1回のつもりで言っているらしいこと。

今の九九でしたら一七=「1×7」と考えますが、《大仏供養》では一七=「7×1」。「掛ける数」と「掛けられる数」が現代と逆なのですね。

……そもそも掛け算は「掛ける数」と「掛けられる数」が入れ替わっても、答えは同じですから、とても細かい話なのですが、能・狂言が作られた時代と、現代とでは感覚が違ったらしいことが面白いなぁと思いましたので、書かせていただきます。

掛け算九九と能・狂言

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