善竹十番公演まであと20日ほど。迫って参りました。

ゲスト出演をいただく名古屋和泉流・狂言共同社の方々による、今回の演目は《孫聟》。現在では和泉流だけに伝承されている狂言です。

そんなわけで、この文章の執筆者も拝見したことがないのですが、書物などで調べたことを紹介として書かせていただきます。

《孫聟》は「聟入物」と呼ばれる狂言のひとつです。「聟入り」とは、現在では男性が女性の家に入る(姓を女性側のものにしたり、養子になる)ことを意味しますが、狂言では意味が違います。

まず、結婚する際に、女性が家族を伴わずに男性の家に来て、ある程度一緒に生活をしていることが前提としてあります。

その後に、男性が、今度は女性を連れずに、暦の良い日を選び正装して、女性の実家に挨拶に行きます。そして、女性側の家族と家族の契りを結ぶ儀式が行われます。このことを狂言では「聟入り」と呼んでいます。

もちろん、狂言の創作ではなくて、中世の日本においては一般的な風習だったようです。聟入りの挨拶として「初対面でござる」と言っていますが、それまで本当に会ってもいないのだろうか…とも思うですが、この考察は狂言から外れますので、また別の機会に。

多くの聟入り狂言では、主人公(シテ)は聟となっています。しかし、この狂言《孫聟》の主人公は、結婚した娘の祖父(おおじ)となっていることが特徴です。この祖父の役は、その役名と同じ「祖父」の面をかけて演じます。

始まると、そこは娘の実家。今日は、最上吉日(とても良い日)なので、聟が挨拶に来るはずだ、と舅(結婚した娘の父親、つまり祖父の息子)が召使いの太郎冠者と相談しています。

そこに祖父が登場して、いろいろ口出しをするために、少しずつ聟入りの段取りがおかしくなっていく…。そういうドタバタを描いた狂言となるようです。

舞台の経緯を見てもいない人間が、勝手に細かく書くことは無粋でしょうが、一つだけ。

台本によって、いくつか違いがあるようですが、この祖父は、もともと少々ややこしい性格らしく、舅と太郎冠者は、祖父がいないところで聟入りをやってしまおうとしていたようです。老いても衰えない自負と、老いたための寂しさを、外から見た形として、時として出過ぎてしまうことの滑稽さの形を借りて描いた曲なのではないか…と当日拝見できることを楽しみにしております。

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最初に《孫聟》について「現在は和泉流だけに伝承されている」と書きましたが、実はかつては大蔵流でも、大蔵八右衛門家という分家では、和泉流から相伝されて演じていたという記録があります。実際に明治初期の台本も存在するのですが、八右衛門家自体が明治初期に絶えてしまったため、現在、大蔵流で《孫聟》を伝承する家はありません。

また、同じく明治初期に絶えてしまった鷺流でも演じられていたようです。鷺流での演目名は《差出祖父》。内容を端的に表した(端的過ぎる?)直截的な名前だと感じます。

善竹十番公演サイト https://zenchiku.xyz/

志芸の会公式サイト http://www.shigenokai.com/